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6-1 ホワイト・デーの前日の会話 1

last update Last Updated: 2025-04-03 19:03:06

3月13日――

 今日も朱莉は母親の面会に来ていた。

「お母さん、今日はネイビーの写真を持ってきたよ」

朱莉はスマホで撮影したネイビーの写真を母に楽しそうに見せた。

「あら、本当に可愛いわね。絵本のピーターラビットを思い出すわ」

洋子は目を細めて写真を眺めている。

結局、洋子は翔と朱莉、そして明日香の関係を尋ねる事は無かった。

それは母の気遣いであることは痛いほど朱莉には分かっていた。だけど真実を母に告げる事等朱莉には出来ない。だから今は母のあえて何も聞かないという優しさに甘えていたいと朱莉は思うのだった。

(ごめんね。お母さん……いずれ話せる時が来た時は全て話すから)

朱莉はそのとき、ふとテーブルの上に琢磨が母にとプレゼントしてくれたマグカップに気が付いた。

「お母さん、そのマグカップ使っているんだね」

「ええ、デザインも素敵だし大きさも、持ちやすさも丁度良いのよ。確かお名前は……九条さんだったかしら? センスがある素敵な男性よね?」

洋子はニコリと笑う。

「そ、そうだね……」

(お母さん、どうしちゃったんだろう? いつも九条さんの話になるとすごく褒めるけど……)

「ねえ。朱莉は九条さんのような男性、どう思う?」

洋子は意味深な質問をしてきた。

「え……? 九条さんのこと?」

朱莉は今迄の琢磨の行動を思い出してみた。もっとも最近は会う事も無く、最後に会ったのもこの病棟の中である。

「う~ん。すごく仕事が出来て……気配りも出来る男性……かな?」

「あら? それだけなの?」

何故か残念そうに言う洋子に朱莉は首を傾げた。

「う、うん……。そうだけど?」

「そう……分かったわ。ところで朱莉、もう帰った方がいいんじないの? 通信教育のレポートの課題がまだ残ってるんでしょう?」

「う、うん。そうなんだけど……」

「私のことなら大丈夫だから、早く帰ってレポート仕上げなさい。単位が貰えないと大変なんでしょう?」

朱莉は母親の提案に従うことにした。

「うん。それじゃ、今日はもう帰るね」

立ち上がって、コートを羽織る朱莉に洋子は声をかけた

「朱莉、明日は特別な日になるといいわね?」

「え? 何のこと?」

朱莉には母が言っている話が理解出来なかった。

「フフフ……なんでもないわ。それじゃ気を付けて帰るのよ?」

「うん、それじゃまたね。お母さん」

****

 病院を出たのは18時だった
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    ――3月14日金曜日 朱莉が部屋で課題のレポートを仕上げた頃、個人用スマホが鳴った。(誰からだろう……? 九条さんかな?)スマホをタップし、驚いた。何と相手は京極からだったのだ。『こんにちは、朱莉さん。実は昨日からマロンの具合があまり良くありません。これから獣医へ連れて行くところですが、良かったら一緒に獣医の所へついて来て貰えますか? 朱莉さんからマロンを引き取る前の話も出来れば病院で教えて貰いたいので。でもどうしても都合がつかなければ、無理にとは言いません』「え……! マロンが……?」マロンに会っていいものかどうか、朱莉は一瞬迷った。だが、元々は朱莉が飼い主。マロンが心配な気持ちに変わりない。時計を見ると16時になろうとしている。母には悪いが今日の面会は無理だろう。朱莉はすぐに母親の入院先の病院へ電話を入れて、面会に今日は行けそうに無い旨を言伝して貰うことにした。その後、京極にメッセージを送った。『はい、勿論大丈夫です。何時に何処で待ち合わせをすればよろしいでしょうか?』**** 京極が指定して来たのはドッグランだった。朱莉は気が急く思いで待っていると、キャリーバックにマロンを入れた京極がやって来た。「朱莉さん、お待たせしてすみません」「いえ……。それでマロンの様子は……?」朱莉はキャリーバックの中を覗くと、マロンがぐったりした様子で眠っている。「マロン……!」朱莉は悲痛な声を上げた。「朱莉さん。今からこちらに車を回してくるので、マロンを連れてここでお待ちいただけますか?」「はい、勿論です。よろしくお願いします」京極は頷くと小走りに駐車場へと向かって行った。それからものの5分程で、朱莉の前に1台のベンツがやってきて止まると運転席のドアが開き、京極が下りてきた。「朱莉さん、乗って下さい」「はい」朱莉は後部座席に乗り込んだ。「朱莉さん、助手席に乗らなくて良いのですか?」京極は朱莉を振り返りながら質問した。「はい、マロンの様子を見たいので後部座席に座らせて下さい」「分かりました。それじゃ出発しますね」京極はハンドルを握ると、アクセルを踏んだ――**** 京極の話では昨日から少しマロンの食欲が落ちて、元気があまりなかったと言う。そして今日になり、下痢や嘔吐、発熱の症状が起こったそうだ。「本当にすみません……

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    その頃、琢磨と翔は仕事の合間の小休憩していた。「翔、明日はホワイト・デーだ。しかも週末。何か予定は立てているのか?」ブルーマウンテンを飲みながら琢磨が尋ねた。「勿論だ。フランス料理のレストランを予約してあるんだ。そこへ行く」翔はカフェ・ラテを飲みながら答えた。「……何人で行くつもりだ?」「え? 2人で行くに決まっているだろう?」「それって……明日香ちゃんとか?」何故かイライラした口調の琢磨。「勿論だ。え? もしかして朱莉さんも誘えってことか?」「朱莉さんはどうするんだよ? お前手編みのマフラー貰ってるよな?」「彼女にはギフトとして若い女性に人気のスイーツを買ってある。明日自宅に届くように配達を頼んでいる所だ」翔の無神経な言葉に琢磨はつい声を荒げてしまった。「おい、翔! 何処の世界にホワイト・デーのお返しをお中元やお歳暮じゃあるまいし郵送する奴がいるんだ? しかも朱莉さんはお前達のすぐ真上の階に住んでるじゃないか! 直接届けて顔を見せてあげようとかは思わないのか?」「何を言ってるんだよ、琢磨。明日香の手前、そんなことが出来ないのは知ってるだろう? それに彼女が俺にマフラーを編んでくれたのも一応書類上は俺の妻になってるからだ。その役目を果たそうと編んでくれたんだろう? 第一俺と朱莉さんは契約婚で、そこに何らかの感情が伴っている訳でも無いのだから」翔の言葉に琢磨は呆れてしまった。(はあ? 翔の奴、本気でそんな風に思っていたのか? あれ程朱莉さんに好意を寄せられてるってことに全く気が付いていないって言うのか? 信じられない……これでは、あまりに朱莉さんが気の毒過ぎる!)だからつい、余計な事と思いつつ琢磨は口にしてしまった。「だったら……だったら何故、俺に朱莉さんへのホワイト・デーのお返しを渡すのを頼まなかったんだ?」「は?」翔がぽかんとした顔で琢磨を見た。そして琢磨も今の発言に自分自身で驚いていた。(え……? お、俺は今一体何を言ってしまったんだ?)考えてみればおかしな話である。第三者がホワイト・デーのお返しを渡すなんて、世間一般では考えられない話だ。「わ、悪い。今の話は忘れてくれ。……どうかしていたよ……」琢磨は再びコーヒーに口を付けた。「琢磨は朱莉さんからバレンタインに何か貰ったのか?」「ああ。貰った」「へえ~何を

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   6-1 ホワイト・デーの前日の会話 1

    3月13日―― 今日も朱莉は母親の面会に来ていた。「お母さん、今日はネイビーの写真を持ってきたよ」朱莉はスマホで撮影したネイビーの写真を母に楽しそうに見せた。「あら、本当に可愛いわね。絵本のピーターラビットを思い出すわ」洋子は目を細めて写真を眺めている。結局、洋子は翔と朱莉、そして明日香の関係を尋ねる事は無かった。それは母の気遣いであることは痛いほど朱莉には分かっていた。だけど真実を母に告げる事等朱莉には出来ない。だから今は母のあえて何も聞かないという優しさに甘えていたいと朱莉は思うのだった。(ごめんね。お母さん……いずれ話せる時が来た時は全て話すから)朱莉はそのとき、ふとテーブルの上に琢磨が母にとプレゼントしてくれたマグカップに気が付いた。「お母さん、そのマグカップ使っているんだね」「ええ、デザインも素敵だし大きさも、持ちやすさも丁度良いのよ。確かお名前は……九条さんだったかしら? センスがある素敵な男性よね?」洋子はニコリと笑う。「そ、そうだね……」(お母さん、どうしちゃったんだろう? いつも九条さんの話になるとすごく褒めるけど……)「ねえ。朱莉は九条さんのような男性、どう思う?」洋子は意味深な質問をしてきた。「え……? 九条さんのこと?」朱莉は今迄の琢磨の行動を思い出してみた。もっとも最近は会う事も無く、最後に会ったのもこの病棟の中である。「う~ん。すごく仕事が出来て……気配りも出来る男性……かな?」「あら? それだけなの?」何故か残念そうに言う洋子に朱莉は首を傾げた。「う、うん……。そうだけど?」「そう……分かったわ。ところで朱莉、もう帰った方がいいんじないの? 通信教育のレポートの課題がまだ残ってるんでしょう?」「う、うん。そうなんだけど……」「私のことなら大丈夫だから、早く帰ってレポート仕上げなさい。単位が貰えないと大変なんでしょう?」朱莉は母親の提案に従うことにした。「うん。それじゃ、今日はもう帰るね」立ち上がって、コートを羽織る朱莉に洋子は声をかけた「朱莉、明日は特別な日になるといいわね?」「え? 何のこと?」朱莉には母が言っている話が理解出来なかった。「フフフ……なんでもないわ。それじゃ気を付けて帰るのよ?」「うん、それじゃまたね。お母さん」**** 病院を出たのは18時だった

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   5-34 日曜日の過ごし方 4

     ――17時「はぁ……」お見舞い用の花束を抱えてため息をついていた。母に翔との関係を問い詰められるのが怖くて、青ざめていた昨日の母の姿を見るのが辛くて……ついこんな時間までぐずぐずしてしまっていたのだった。入院病棟の前で何度かため息をついて、中へ入ろうと深呼吸した時――「朱莉さん!」振り向くと、若干呼吸を乱した琢磨が立っていた。驚きのあまり、朱莉の目が丸くなる。「ど、どうしたんですか? 九条さん」すると琢磨はツカツカと朱莉の傍へ寄ると、驚く位の至近距離で立ち止まった。「あ、あの……く、九条さん……。ち、近いです……」壁際近くまで追い詰められ、身体が触れ合う程に近付かれた朱莉は花束を抱え、俯いた。その瞬間、琢磨は自分の行動に初めて気づいて慌てて距離を取った。「ご、ごめん……翔から朱莉さんのお母さんが昨夜救急車で運ばれたって話を聞かされて……つい……」謝りながら、琢磨は自分自身で驚いていた。距離感が分からなくなるくらいに我を失うなんて今までの人生で経験したことが無かったからだ。「い、いえ。いいんです。それだけ気にかけていただいたってことですよね? ありがとうございます。翔さんの秘書と言うだけで私にまでご親切にしていただいて感謝しています」「朱莉さん……」「あ、今母の面会に行くところなんです。だから……」どうぞお帰り下さい、朱莉はそう伝えるつもりだったのだが……。「俺も面会……させて貰えるかな?」琢磨は朱莉に紙バックを差し出した。「え……? これは何ですか?」朱莉は差し出された紙バックと琢磨の顔を交互に見て、首を傾げた。「朱莉さんのお母さんは入院されているから食べ物は駄目だろうと思って、江の島の雑貨店でマグカップを買ってみたんだ。気に入ってもらえるかは分からないけど……」少し照れた様子の琢磨を朱莉はじっと見つめる。「九条さんて……何だか意外ですね」「意外?」首を傾げる琢磨。「はい。何だか意外です。翔さんの副社長の秘書という立派な仕事をされている方だったので常に冷静沈着な方だと思っていたんです。日常生活でも……」「……」琢磨は黙って朱莉の話を聞いていた。「でも、親しみやすさもあって……そういうところ、いいなって思います。マグカップ、どうもありがとうございます。母に手渡しておきますね」「朱莉さん。俺は面会させて貰

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   5-33 日曜日の過ごし方 3

     悲し気な顔で明日香と翔の後姿を見送る朱莉。その様子を京極は黙って見つめていたが……やがて口を開いた。「朱莉さん。僕はまた余計なことを話してしまったのでしょうか…?」京極の顔は悲し気で、その声は辛そうに朱莉は思えた。「いえ。そんなことはありません。母に嘘をつくのは正直辛かったので、かえって本当のことをあの方達に知って貰えて良かったかもしれません。京極さん、マロンをいつも可愛がっていただき、ありがとうございます。それじゃ、私用事がありますので失礼します」朱莉が立ち去ろうとした時。「朱莉さんっ!」振り向くと、何処か切羽詰まった表情の京極が見つめている。「もし、出掛けるのであれば……ご一緒出来ませんか? それともどなたかと待ち合わせですか?」何故京極がそんな切迫した目で自分を見つめてくるのか、朱莉には少しも理解出来なかった。だが……これ以上京極と関わっては明日香と翔、そして自分の関係が京極にバレてしまう可能性がある。だから朱莉は嘘をついた。「はい、すみません。人と待ち合わせがあるんです。本当に……すみません」「それはこの間貴女と一緒にいた男性ですか? 貴女の夫の秘書だと言う男性ですか?」「え? まさか……九条さことことを言っているのですか?」「九条……そうですか。あの男性は九条と言う方なんですね……」京極は目を伏せながらポツリと呟く。その様子を見て朱莉は不思議に思った。(どうしてだろう? 京極さんは九条さんの話になると何だか様子がおかしくなるような気がする)「あ、あの……京極さん。私と九条さんは別に……」「しつこく質問をしてしまってすみません朱莉さん。出かける処をお引き留めしてしまいましたね。それじゃ失礼します」京極は会釈し、マロンとショコラの元へと向かって歩いていく。「京極さん……」朱莉はそんな彼の後姿を複雑な思いで見つめるのだった――**** 琢磨は今、車で1人江の島へと来ていた。別に何をするでもなく1人で海を眺めていると、数人の女性たちから声をかけられた。琢磨はそれら一切全てをうるさそうに追い払うとため息をついた。以前までは江の島は好きな場所だった。江の島の町の雰囲気……潮風は普段大都会に住んでいる琢磨にとっては気分転換になる場所だったのだが、今は……。「全く……俺は1人でこんなところまで来て、一体何をやっている

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   5-32 日曜日の過ごし方 2

    「あら、朱莉さんじゃないの?」朱莉は突然背後から声をかけられた。恐る恐る振り返り、翔と明日香が仲睦まじげに腕を組んでいる姿が目に飛び込んできた。(翔先輩……!)その瞬間目頭が熱くなり、涙が出そうになった。しかし、それを必死で我慢すると挨拶した。「こ、こんにちは。明日香さん、翔さん」翔は朱莉が1人でいるのを見て顔色を変えた。「朱莉さん……一体どうしたんだ? 昨夜はあの後、メッセージを送っても返信が無いし、部屋を訪ねても留守だったみたいだけど?」どうしよう……。本当の事を言うべきだろうか? 朱莉はチラリと明日香を見た。(駄目……明日香さんがいるから本当のことを言えない……それなら……)「あ、あの。やはり母が疲れたから病院に戻ると言ったので……タクシーに乗って病院へ連れて帰って戻ったんです」俯きながら朱莉は答えた。「何だ……そうだったのか。何かあったのでは無いかと心配したんだよ」翔は安心した表情を浮かべる。「あら、そうだったの? 人騒がせな話ね」「……ご心配おかけしました……」眉を顰める明日香に朱莉は謝罪した。「どうして本当の事を言わないんだい? 朱莉さん」その時。突然近くから男性の声が聞こえ、朱莉たちは一斉に声が聞こえた方向を振り返った。するとドッグランの柵に頬杖をついて、朱莉たちを見下ろしている人物の姿があった。「きょ……京極さん……」朱莉はごくりと息を飲んで京極を見上げた。一体いつから京極は自分たちの会話を聞いていたのだろうか? 一気に緊張が高まり、朱莉は両手をギュッと握りしめた。「あら? 貴方は確か……」明日香が首を傾げる。「ええ。僕が朱莉さんの犬を引き取った者です」一方、何のことかさっぱり分からないのは翔の方であった。しかし、朱莉の犬を引き取って貰ったとなるとお礼を言わなければならない。「朱莉さんの犬を引き取ってくれたと言う方は、ひょっとすると貴方だったのですか? どうも有難うございました」翔は頭を下げると京極は眼を細める。「貴方はどちら様ですか?」尋ねたその瞳はどこか棘がある。「え……?」2人の様子を見た朱莉は焦った。(いけない! 今翔先輩は明日香さんと腕を組んでいる……。もし翔先輩が正直に話してしまったら……!)「あ、あの……この方はこちらにいらっしゃる明日香さんと言う方の……お兄様に当たる

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